フェアトレードで作られた洋服や雑貨を展開する京都の企業「シサム工房」では、フェアトレードのものづくりの現場を”お話会”を通して知る機会を設けています。

インドのフェアトレードNGO「SASHA(サシャ)」の代表ルーパさんと一緒に来日されたテキスタイルデザイナーのスワガタさん。SASHAの設立当初から、女性の自助グループの活動に携わっており、生産技術を伝えて歩いています。

SASHAは、古都コルカタで1978年に創立された歴史と実績のあるフェアトレードNGOです。2024年7月現在、約70グループ、3,500人もの生産者の支援を行っています。

サシャでは、製品のニーズが時代にあっているかなど市場の開拓やデザインの開発に力を入れおり、技術的指導や金銭的支援も行いながら地域伝統の手工芸品を復興させることを大切にしています。そして、フェアトレードによって生産者の安定収入や自立だけでなく、彼らの技術が世界で認められることで自信や自尊心を持つことも大切にしています。

今回は、インドで何千年も続く綿織物「Khadi(カディ)」を中心に、インドの文化や伝統技法の変遷や職人たちの様子についてお話をお伺いしました。

綿の産地インドで何千年もつづく手紡ぎで生み出される「Khadi(カディ)」

インドは、古くから世界的に有名な綿(コットン)の生産地です。地域で栽培された綿で手紡ぎ・手織りで作られる布のことを「Khadi(カディ)」と言います。カディは何千年もの歴史があり、インドの人々の文化や生活の中で生きてきた手工芸品です。

カディを作るのに使うのは、実にシンプルな道具。先端が細くなっている木の棒と熟練した手の動き・感覚でまずは綿を糸にしていきます。

左上が糸にするときの道具

カディの特徴は、手仕事から生み出される織りむらや不均一な風合い。ところどころポコポコとした優しい印象の生地です。

SASHAで作ったカディの生地は、インドのフェアトレードNGO「クリエイティブハンディクラフト」の女性たちによって縫製されています。

カディの歴史に触れていきます。

インドは19世紀中頃からイギリスの植民地でしたが、植民地時代にインドで生産された原綿はイギリスに運び出され、産業革命による機械式の紡績機によって安く大量生産されました。その後、大量生産された綿生地はインドに逆輸入され、インドのひとたちは半ば強制的に綿製品を購入しなければならず、その結果、インドの綿産業は大きなダメージを受けました。素晴らしい手紡ぎの伝統技術「カディ」も安価な輸入品に押され、大きな打撃を受けます。

その後、インドは1947年に独立しますが、独立運動の先頭にいたのがインド独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンディー氏です。ガンディー氏は国産品愛用の運動を行いましたが、実はそのガンディーが身にまとっていた布が「カディ」です。ガンディーが映る写真には糸車がありますが、まさにそれがカディの手紡ぎをしているシーンです。

インドの人々に愛されるカディですが、その中でも「モスリン」という非常に薄いシルクのような生地がります。なんと500番手という極細番手も存在し、その芸術的な美しい生地は世界的にも非常に需要があります。

SASHAでは、この「モスリン」の生地などカディの布を作る西ベンガル州カルカッタにいる10世帯の家族が支えています。コロナ禍で注文が減少し、織物職人の数は10世帯にまで減っています。

カディができるまでを順に紹介していきます。

まずは、糸を巻いて糸巻きや”かせ”にします。

カディは手紡ぎなので撚りがあまく、ちぎれやすいため、丸く作られた”かせ”は、下の画像のように米由来の糊をつけておきます(かんぴょうのような見た目です)。

その後、経糸の準備をします。

そしていよいよ機織り機を使って生地にしていきます。

カディの生地を織る際は、一定の湿気が必要ですが、実は機織り機は掘りごたつのように半分地面にはいっています。地面に近づけることで湿度を一定に保ちやすくなるからです。暑い日には水を撒き、湿気を調整します。それだけ繊細な生地なのです。

近隣国の美しい織の伝統技術は、サリー以外の新たなアイテムへ展開

インドの隣国バングラディッシュはパキスタンと分かれ独立した国ですが、インド同様に織物が有名です。

西ベンガル州ナディア地区にはもともと織物を作る土地ではありませんでしたが、この土地に移住してきた人々によってタンガイルサリーが盛んに生産されるようになりました。この地区には、バギラティ川があり、そのほとりの場所はのちに「フーリア」という地名が付きました。そのため、「タンガイルサリー=フーリア」と認識されるようになりました。

しかし、タンガイルサリーは過剰な値下げ競争によって品質低下が進んでしまい、女性たちもサリーを着ることが減るという生活の変化もあって、タンガイルサリーの衰退が進んでいきました。

その後、1980年頃にインド政府は海外バイヤーに対し、タンガイルサリーならではの美しい織柄の技術をストールやショールなどサリー以外のアイテムに応用して売り出すことを支援しはじめました。

現在、動力織機や安価な模造品に押され、フーリアには最盛期のような織物産業の姿はありませんが、フーリアの若者が彼らの新しい感性で、格別な美しい織柄を出せる技術を生かした新しいデザインでの商品を生み出す動きが出てきています。

象牙の加工職人は、時代に合わせて材料を木材に

生地や織物についての時代の変遷を含めてご紹介しましたが、今度はベンガル地方の木工職人さんのお話です。

かつてのベンガル地方では、花嫁用の金や銀の手工芸品や象牙細工の櫛が有名でした。象牙についてはオーストラリアから輸入をしていましたが、インド政府は調達先の不透明な象牙の輸入に規制をかけていき、動物性の製品について問題視する時代の変化とともに、材料を「木」に代えています。

正直なところ象牙よりも木の方が加工しやすく、製品のバリエーションも増やしやすいというメリットもあります。熟練した職人は入手しやすく、活用の幅も広い木材を代用品として、彼らの技術をいかし続けています。

木工製品の作業過程は、まずだいたいの大きさに木をカットします。その後は手作業で外側→内側の順に削り、仕上げの磨き作業をしていきます。その後、カビの防止や曲がりが発生しないように製品の水分含有量を測り、最後は、家庭にある食品用オイルを塗って完成です。

フェアトレードで作られるものは、基本的に生活の中にある身近な材料を使います。SASHAが扱う木製製品には、自生しているニームという木や、マンゴーやアカシュモニという木などを使っています。また、オイルについてもインドの家庭にあるのはマスタードオイルを塗っています。

シサム工房では「neem(ニーム)」というシリーズで、ニームの木を削って作られた木製の食器やカトラリーを扱っています。裏側や持ち手の部分には、ぽこぽことした模様になっており、デザインと持ちやすさにつながっています。自然素材を使い、職人たちによる手作業で作られるアイテムだからこそ、ひとつひとつの製品に表情や風合いの違いがあり、それの違いも手工芸品の楽しさでもあります。

フェアトレードを選択することで、作り手である職人たちをサポートし、伝統を残せる

最後に、お話会の進行役を務めたシサム工房の人見さんからスワガタさんへ質問がありました。

──「スワガタさんにとってフェアトレードとは何ですか?」

スワガタさん:フェアトレードをサポートすることは、職人をサポートすることです。つまり伝統を残していくことができます。

と答えていました。

フェアトレードは、発展途上国の人々に安定した収入の機会や生活の質の向上につながるだけでなく、彼らが大切にしてきた伝統を応援できるということです。伝統も生産者の自立も応援できるフェアトレード。SASHAの製品にもぜひ注目してみてください。

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